シュトーレンと、バターと砂糖の関係
こんにちは。カゴノオトのあきです。
雨が降るごとに緑色が深くなり、初夏を感じる四万十です。
先日、今年初めて、高知の県鳥であるヤイロチョウの鳴き声が聞こえました。
いつもこの時期になると、南方から渡来してくるのだそうです。
今月の旅日記は、シュトーレンに欠かせないバターと砂糖について調べました。
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旅日記3月号でもお伝えしましたが、記録に残っている最古のシュトーレンは、水、燕麦、菜種油を捏ねて作った、素朴であまり美味しくないものでした。
そもそも、クリスマス前のアドヴェントやイースター前の断食の期間はバターのような贅沢品を食することは許されていなかったといいます。
ザクセンの選帝侯エルンストと弟アルブレヒトが1491年、ローマ教皇インノケンティウス8世にバター使用の許可を請願し許可が下りて以来、バターが使われるようになり、砂糖やほかの素材も加わっていきました。*1
甜菜糖の原料となるビーツ
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砂糖の原料の甜菜は、元々ヨーロッパでは家畜の飼料として栽培されていたもので、18世紀中頃、ドイツの科学者マルクグラーフが、甜菜から取り出した砂糖が、サトウキビの甘しゃ糖と同じ成分であることを発見しました。*2
それまで砂糖はサトウキビからしか抽出できなかったのですが、マルクグラーフの発見により、その製法を弟子のアハルトが応用することで、ヨーロッパの砂糖工業が大きく発展したと言われています。*3
その後、ヨーロッパでは1800年から1815年まで戦争が続き、その間に西ヨーロッパでは、深刻な砂糖不足に陥ります。フランスとイギリスの戦争によって、西インドの商品が禁輸になったためです。*4
ヨーロッパの国々は甜菜糖の製造技術に目をつけ、生産を奨励するようになります。*5
プロイセンの紋章
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そして1802年には、ドイツ(当時のプロイセン)シレジア地方のクネルンに最初の甜菜糖製造工場が設立されました。*4
その後19世紀中頃になると、砂糖の工業生産が始まり、一般庶民にも砂糖が広まって、シュトーレンの表面に粉砂糖が振られるようになったといいます。
ただし、この頃はまだシュトーレンは高級品として富裕層のみのものでした。
現在のようなシュトーレンが一般的になったのは、20世紀に入り人々の暮らしが豊かになってから。
一般の家庭でも作られるようになりますが、家庭用オーブンではうまく焼けなかったこともあり、パン屋に材料を持ち込んで焼いてもらう家庭も多かったとか。*5
一つひとつの素材が合わさって作られるシュトーレンですが、素材も歴史の変遷と共に紆余曲折を経て今のシュトーレンにたどり着いたのだと思うと、シュトーレンの奥深さと長い歴史にロマンを感じます。
参考サイト、文献
*1『ドイツ菓子図鑑 お菓子の由来と作り方』森本智子 誠文堂親光社 2018.7 p.185
*2 https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_002274.html
*3 https://en.wikipedia.org/wiki/Andreas_Sigismund_Marggraf
*4 https://www.jstor.org/stable/140639
*5 https://www.jstage.jst.go.jp/article/bag/5/4/5_KJ00010156118/_pdf/-char/ja
*6 https://sugar.alic.go.jp/tisiki/ti_9904.htm
*7 『シュトレン ドイツ生まれの発酵菓子、その背景と技術』増補改訂版 旭屋出版p.14
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カゴノオトスタッフ 刈谷明子
徳島県出身。
徳島→東京→高知→四万十
東京の大学卒業後、高知の出版社で働いたのち、
NPO法人高知こどもの図書館で勤務。
その後、結婚を機に四万十へ移住。
現在、カゴノオトで受注や事務の仕事を担う。
認定NPO法人高知こどもの図書館理事。
2022年5月12日