カフェを辞める理由(前バージョン)

おはようございます。前です。
カフェ営業も残すところ明日23日と来週30日の2日になりました。

上手く書けるかどうかわかりませんが、今日はなぜカゴノオトのカフェ営業を辞めようと思ったか、その理由を書いてみます。
カゴノオトは僕、前成照と小清水緑の2人でやっていてそれぞれに感じ方も考えてる事も違うのであくまで僕の視点で辞めようと思った理由を書いてみます。

話は遡りますがカゴノオトを始める前は東京に暮らしていてホテルのレストランでコックさんとして朝から晩まで忙しく働いていました。

そこで生涯忘れられないあの日を迎えます。
2011年3月11日。
東日本大震災が起こり津波が町を呑み込み、原発が爆発しそれを中継していたテレビは静止画に切り替わり、政治家は「放射能はただちに健康に影響はない」と言い、突如決まった計画停電に都市機能は麻痺し、東京に暮らす皆が一様に不安そうな顔色を浮かべていました。
それまでは「何か大きな天災があっても俺は全然大丈夫!」と思って生きていましたが、情報に煽られ、食べ物も買えず、停電で身動きが取れなくなって自分の不甲斐なさを痛感しました。
その出来事に「この凄まじく早いスピードで経済を回す今の暮らしはもう無理。このスピードの中で原発反対と異を唱えても何も変わらない。まずはここから下りて生きる力をつけないと」と知り合いのツテを辿って2011年10月に高知の四万十町に引っ越しました。

知り合いも少なく何の後ろ盾もなかったぶん勢いだけはあったので色々やって生きて行こうと、農業を皮切りにカフェを始め、料理、お菓子作り、ライブ、イベント企画、大工仕事、CD製作、冊子発行、その他諸々色んな事をこの7年間やってきました。

引っ越して来る前に比べるとできる事も増えて生きる力は格段に付いたと思いますが、いざお金を稼ぐ段になると劇的に控えめで「よかったら買ってね。よかったらお店に来てね、、」というスタイルは変わらず生活は苦しいままの7年間でもありました。

それでも「何とか生活はできているから大丈夫!いつかもっと稼げるようになるから!」と自分に言い聞かせては、具体的な対策も立てず「何とかなるはず!」と忙しくするのに忙しくしていました。
本当はもっと稼ぎたい、お金が欲しいのに変な自尊心が見え隠れして周りにそれを悟られないように、気付かれないように痩せ我慢しては走り続けていました。
ただそうすると始めの勢いがあった頃のようにはのびのび出来ず、変に萎縮してしまって面白い事を出来ないような気がしてきました。
これが1番の核心で、自分で自分を面白がれなくなったら何のために引っ越してきたのか分かりません。

そしてとうとうある日、限界を迎えます。
「もっと稼ぎます!」
「稼ぐ方にシフトします!」
「忙しいのを言い訳にしません!」
というのを実行するためにカフェを辞めお菓子に絞り、もっと自分達の持ち味を出してガツガツやって行く方向にハンドルを切りました。
何かを買ってもらう「商売」が楽しくなってきた時期でもあり、我流で何となくやるのではなくて、きちんとお客さんの事を考えて商売をする勉強も始めました。

カフェを辞める事はしんどいですが、イベントは引き続きやっていくし、カフェをやれるようになったらまた再開すればいいやと思って、ひとまずは稼ぐ事、生活の基盤を作る事に精を出します。

そんな痩せ我慢してた自分達のおしまいと、これから楽しい事をやっていくはじまりに23日30日にカゴノオトにご来店下さった方には「おしまいとはじまりビスケット」を進呈しています。

残り2日のカフェ営業。
ランチのご予約はたくさん頂いているのでお待たせする事もあるかもしれませんが、まだご予約できます。
皆さんのお越しを心よりお待ちしています。

 

2018年6月22日

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